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なぜ項羽は滅んだのか(福本 朋哉)

2015.06.09

  • その他

福本 朋哉

 

こんにちわ。
売れるネット広告社の福本です。



 

「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」と言ったのは、かの鉄血宰相ビスマルクですが、

私も、常日頃歴史に学ぶことを心がけています。

 

特に、最近は、なぜ項羽が負けたのかについて考えています。

 

参考:楚漢戦争

 

項羽というのは戦上手のスーパーマンで、
貴族の血を引くエリート中のエリートです。

 

快進撃で秦軍を打ち破り、劉邦と戦っても連戦連勝。
70戦以上して勝ち続けました。

 

いっぽう劉邦は、
貧しい農家の三男であり、盗賊上がり。
無学で兵法にも疎く臆病で
項羽に負け続けたクズ野郎です。

 

ではなぜ、最終的に劉邦は項羽に勝てたのか。

 

一般的には、

 

・劉邦は人望があり、優秀な部下が集まってきた。
・項羽は優秀だが猜疑心が強く残虐なので、部下に離反された。

 

という二項対立で語られることが多いのではないでしょうか。
幼いころ、項羽と劉邦の話を初めて読んだとき、私もそう解釈しました。

 

今、社会人として十余年、経験を積んだうえで私は思っています。
「人望」などというふんわりした資質ではなく、劉邦の「評価」のうまさこそが
勝利をもたらしたのではないか、と。

 

・昔馴染みで、気があう「仲間」
・自分の権威を借りて、立身出世をたくらむ「野心ある者」
・事を成そうとする志のある「ブレーン」

 

これら属性の違う部下たちをを適切に評価し、

大胆に抜擢しそれぞれに適したポストを与えて活躍させました。

 

盧綰や樊噲、夏侯嬰などの沛時代からの「信頼できる仲間」は、
身近に置き重要な任務を与え、天下統一の暁には、大出世をさせました。

 

韓信や彭越など、「独立心の強い野心家」に対しては、
より短期的なエサをぶらさげます。
自分の威光に従って結果を出せば、王にしてやるという夢を見させ
独立部隊として切り離し、自由に活躍させました。

 

蕭何、陳平、張良など、天下を平定するという「志を持った知識人」たちには
劉邦自身をプロデュースする余地があるかのように身を任せ、
彼らに主導権を与え状況をコントロールしやすい雰囲気を作り上げます。
それによって、彼らは自分自身の志を、主君である劉邦の志と重ねることができたのです。

 

そして、天下統一の悲願を成し遂げたあとは、
後方にあって、兵站を切らすことなく前線を支え続けた
縁の下の力持ち、蕭何を第一位として評価。

彼を丞相として新しい王朝の礎を強固にしていきました。

 

この劉邦の狡猾な「評価」に比べると、
項羽は、秦を滅ぼしたあとの論功行賞が下手でした。

そもそも、先に関中に入った劉邦を約束通り関中王にしなかったことから始まり、
武勲のあった将をあちこちの王にするばかりで、不満が噴出します。

だからこそ、その後の戦乱期においても、項羽の信頼は下がるばかりでした。
軍師の范増すらしっかり使いこなせず、離反の末滅亡してしまったわけですから。

 

人を動かすということは、
その人を「評価」することと同義ですらあると思います。

 

「売れるネット広告社」も社員二十数名、だいぶ組織になってきました。
どうしたら自分も含めたスタッフ全員が最大限の力を発揮できる体制を作れるのか
真剣に考えていきたいと思っています。

 

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